コンテンツにスキップ

「エンリコ・アルベルトージ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
en:Enrico Albertosi 14:01, 30 May 2018‎ (UTC)
23行目: 23行目:
}}
}}


'''エンリコ・アルベルトージ'''('''Enrico Albertosi''', [[1939年]][[11月2日]] - )は、[[イタリア]]・[[ポントレーモリ]]出身の元[[サッカーイタリア代表|同国代表]][[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]。
'''エンリコ・アルベルトージ'''('''Enrico Albertosi''', [[1939年]][[11月2日]] - )は、[[イタリア]]・[[ポントレーモリ]]出身の元サッカー選手。元[[サッカーイタリア代表|同国代表]]。現役時代のポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]。

== 経歴 ==

=== クラブ ===
[[スペツィア・カルチョ|スペツィア]]でユース時代を過ごしたのち、1959年1月[[ACFフィオレンティーナ|ACフィオレンティーナ]]に所属していた18歳の時に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]デビューを果たした。フィオレンティーナでは2度の[[コッパ・イタリア]]優勝など4つのタイトルを獲得した<ref>{{Cite web|url=https://storiedicalcio.altervista.org/blog/serie-a-1968-69-fiorentina.html|title=SERIE A 1968/69: FIORENTINA – Storie di Calcio|accessdate=2019-01-09|language=it-IT}}</ref>。

1968年に[[ルイジ・リーヴァ]]擁する[[カリアリ・カルチョ]]に移籍。すると1969-70シーズンにはクラブ初であり唯一となるセリエA優勝に貢献した。

1974年に[[ACミラン]]に移籍すると、在籍6年間でセリエAとコッパ・イタリアをそれぞれ1度ずつ獲得した<ref>{{Cite web|url=http://www.magliarossonera.it/protagonisti/Gioc-Albertosi.html|title=Enrico Albertosi|accessdate=2019-01-09|website=www.magliarossonera.it}}</ref>。

しかし1980年には八百長スキャンダル「[[トトネロ]]」に関与していたとして、2シーズンの出場停止処分を受けた。その後、1982年にエルピディエンセで現場復帰し、2年後の1984年に現役を引退した。

=== 代表 ===
1961年の[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]戦でイタリア代表にデビュー。

[[1970 FIFAワールドカップ]]には、カリアリでの活躍により正ゴールキーパーに選ばれ全試合に先発出場した。「世紀の試合」や「アステカの死闘」と呼ばれることになる準決勝の[[サッカー西ドイツ代表|西ドイツ代表]]戦でも活躍を見せた。

== エピソード ==
ACミランの後輩にあたる[[ジャンルイジ・ドンナルンマ]]が、2017年にクラブとの契約延長を拒否した際には、批判の声を上げた<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2017/06/16/albertosi-on-donnarumma-iks-1|title=ミラン退団決定のドンナルンマ…レジェンドGKが怒る!|accessdate=2019-01-09|website=Qoly}}</ref>。

== 所属クラブ ==


== 選手経歴 ==
* 1954-1958 {{flagicon|ITA}} [[スペツィア・カルチョ]] (0試合0得点)
* 1954-1958 {{flagicon|ITA}} [[スペツィア・カルチョ]] (0試合0得点)
* 1958-1968 {{flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ|ACフィオレンティーナ]] (185試合0得点)
* 1958-1968 {{flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ|ACフィオレンティーナ]] (185試合0得点)

2019年1月9日 (水) 09:01時点における版

エンリコ・アルベルトージ
名前
愛称 リッキー
ラテン文字 Enrico Albertosi
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1939-11-02) 1939年11月2日(84歳)
出身地 ポントレーモリ
身長 182cm
体重 77kg
選手情報
ポジション GK
代表歴
1961-1972 イタリアの旗 イタリア 34 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エンリコ・アルベルトージEnrico Albertosi, 1939年11月2日 - )は、イタリアポントレーモリ出身の元サッカー選手。元同国代表。現役時代のポジションはGK

経歴

クラブ

スペツィアでユース時代を過ごしたのち、1959年1月ACフィオレンティーナに所属していた18歳の時にセリエAデビューを果たした。フィオレンティーナでは2度のコッパ・イタリア優勝など4つのタイトルを獲得した[1]

1968年にルイジ・リーヴァ擁するカリアリ・カルチョに移籍。すると1969-70シーズンにはクラブ初であり唯一となるセリエA優勝に貢献した。

1974年にACミランに移籍すると、在籍6年間でセリエAとコッパ・イタリアをそれぞれ1度ずつ獲得した[2]

しかし1980年には八百長スキャンダル「トトネロ」に関与していたとして、2シーズンの出場停止処分を受けた。その後、1982年にエルピディエンセで現場復帰し、2年後の1984年に現役を引退した。

代表

1961年のアルゼンチン代表戦でイタリア代表にデビュー。

1970 FIFAワールドカップには、カリアリでの活躍により正ゴールキーパーに選ばれ全試合に先発出場した。「世紀の試合」や「アステカの死闘」と呼ばれることになる準決勝の西ドイツ代表戦でも活躍を見せた。

エピソード

ACミランの後輩にあたるジャンルイジ・ドンナルンマが、2017年にクラブとの契約延長を拒否した際には、批判の声を上げた[3]

所属クラブ

代表歴

  1. ^ SERIE A 1968/69: FIORENTINA – Storie di Calcio” (イタリア語). 2019年1月9日閲覧。
  2. ^ Enrico Albertosi”. www.magliarossonera.it. 2019年1月9日閲覧。
  3. ^ ミラン退団決定のドンナルンマ…レジェンドGKが怒る!”. Qoly. 2019年1月9日閲覧。