「オリンピックのコートジボワール選手団」の版間の差分
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[[1964年]]の東京オリンピック開催当時、[[日本国政府]]はコートジボワールの[[公用語]]である[[フランス語]]名を意訳した「'''象牙海岸'''」(ぞうげかいがん)の[[外名]]を使用していたが、選手団名は[[英語圏]]で用いられている意訳の外名"Ivory Coast"に基づき「'''アイボリーコースト'''」とされ、[[1964年東京オリンピックの開会式|開会式]]では[[英語]]名の[[アルファベット]]順で[[オリンピックのイタリア選手団|イタリア]](Italy)と[[オリンピックのジャマイカ選手団|ジャマイカ]](Jamaica)の間に当たる43番目で入場した<ref>オリンピック東京大会組織委員会(1966), p230</ref><ref>ブルーガイド編集部(2015), p27</ref>。 |
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ISBN 978-4-408-00868-4, p27</ref>。 |
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[[1984年]]のロサンゼルスオリンピックまでの間、[[日本語]]文献での本選手団に関する言及は、現地公用語の通り「コートジボワール」とするものや「象牙海岸」もしくは「アイボリーコースト」とするものが混在していたが、[[1986年]]に日本政府がコートジボワール政府から個別に外名の変更(意訳の「象牙海岸」使用取りやめ)を要請されたことに伴い、[[1988年ソウルオリンピック]]以降は原則として「コートジボワール」に統一されるようになった。類似の事例には、[[1994年リレハンメルオリンピック]]から[[2014年ソチオリンピック]]まで「グルジア選手団」と呼ばれていた[[オリンピックのジョージア選手団|ジョージア選手団]]がある。 |
[[1984年]]のロサンゼルスオリンピックまでの間、[[日本語]]文献での本選手団に関する言及は、現地公用語の通り「コートジボワール」とするものや「象牙海岸」もしくは「アイボリーコースト」とするものが混在していたが、[[1986年]]に日本政府がコートジボワール政府から個別に外名の変更(意訳の「象牙海岸」使用取りやめ)を要請されたことに伴い、[[1988年ソウルオリンピック]]以降は原則として「コートジボワール」に統一されるようになった。類似の事例には、[[1994年リレハンメルオリンピック]]から[[2014年ソチオリンピック]]まで「グルジア選手団」と呼ばれていた[[オリンピックのジョージア選手団|ジョージア選手団]]がある。 |
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== 参考文献 == |
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* オリンピック東京大会組織委員会(編)『第十八回オリンピック競技大会公式報告書』上巻([[1966年]]){{NCID|B A65954655}} |
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* ブルーガイド編集部(編)『[http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-00868-4 地図と写真で見る東京オリンピック1964]』([[実業之日本社]]、[[2015年]]) ISBN 978-4-408-00868-4 |
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== 出典 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2017年12月14日 (木) 11:02時点における版
オリンピックのコートジボワール選手団 | ||||
コートジボワールの国旗 | ||||
IOCコード: | CIV | |||
NOC: | コートジボワールオリンピック委員会 | |||
オリンピック | ||||
メダル |
金 1 |
銀 1 |
銅 1 |
計 3 |
夏季オリンピックコートジボワール選手団 | ||||
1964 • 1968 • 1972 • 1976 • 1980 • 1984 • 1988 • 1992 • 1996 • 2000 • 2004 • 2008 • 2012 • 2016 • 2020 • 2024 |
オリンピックのコートジボワール選手団は、1964年東京オリンピックから参加した。1976年モントリオールオリンピックでは、当時人種隔離政策を行っていた南アフリカへニュージーランドラグビー代表が遠征したことに抗議しアフリカ諸国がボイコットにより不参加および大会期間中の選手団帰国という事態になったが、アフリカ諸国のなかでコートジボワール選手団とセネガル選手団だけはボイコットも選手団の引き上げも行われなかった経緯がある。1980年モスクワオリンピックは西側諸国とともにボイコットによる不参加となったものの、その他の大会には全て参加を続けている。ただし、冬季オリンピックへの参加はまだない。
概要
これまでに獲得したメダルは、1984年ロサンゼルスオリンピックの陸上競技男子400mでガブリエル・ティアコーが獲得した銀メダル、2016年リオデジャネイロオリンピックのテコンドー男子80kg級でシェイク・サラ・シセが獲得した金メダル、同女子67kg級でルース・バグビが獲得した銅メダルの3個である。
日本での呼称について
1964年の東京オリンピック開催当時、日本国政府はコートジボワールの公用語であるフランス語名を意訳した「象牙海岸」(ぞうげかいがん)の外名を使用していたが、選手団名は英語圏で用いられている意訳の外名"Ivory Coast"に基づき「アイボリーコースト」とされ、開会式では英語名のアルファベット順でイタリア(Italy)とジャマイカ(Jamaica)の間に当たる43番目で入場した[1][2]。
1984年のロサンゼルスオリンピックまでの間、日本語文献での本選手団に関する言及は、現地公用語の通り「コートジボワール」とするものや「象牙海岸」もしくは「アイボリーコースト」とするものが混在していたが、1986年に日本政府がコートジボワール政府から個別に外名の変更(意訳の「象牙海岸」使用取りやめ)を要請されたことに伴い、1988年ソウルオリンピック以降は原則として「コートジボワール」に統一されるようになった。類似の事例には、1994年リレハンメルオリンピックから2014年ソチオリンピックまで「グルジア選手団」と呼ばれていたジョージア選手団がある。
国際オリンピック委員会(IOC)公用語のフランス語では加盟時から一貫して"Côte d'Ivoire"の名称だが、第二公用語の英語では日本政府の外名変更と同時期に"Ivory Coast"からフランス語と同じ"Côte d'Ivoire"に変更されている。しかし、英語圏ではなお意訳の"Ivory Coast"として言及される事例が見られる[3]。
メダル獲得数一覧
夏季オリンピック
大会名 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
---|---|---|---|---|
1964 東京 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1968 メキシコシティー | 0 | 0 | 0 | 0 |
1972 ミュンヘン | 0 | 0 | 0 | 0 |
1976 モントリオール | 0 | 0 | 0 | 0 |
1980 モスクワ | 不参加 | |||
1984 ロサンゼルス | 0 | 1 | 0 | 1 |
1988 ソウル | 0 | 0 | 0 | 0 |
1992 バルセロナ | 0 | 0 | 0 | 0 |
1996 アトランタ | 0 | 0 | 0 | 0 |
2000 シドニー | 0 | 0 | 0 | 0 |
2004 アテネ | 0 | 0 | 0 | 0 |
2008 北京 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2012 ロンドン | 0 | 0 | 0 | 0 |
2016 リオデジャネイロ | 1 | 0 | 1 | 2 |
合計 | 1 | 1 | 1 | 3 |
夏季オリンピック競技別
競技名 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
---|---|---|---|---|
テコンドー | 1 | 0 | 1 | 2 |
陸上競技 | 0 | 1 | 0 | 1 |
合計 | 1 | 1 | 1 | 3 |
参考文献
- オリンピック東京大会組織委員会(編)『第十八回オリンピック競技大会公式報告書』上巻(1966年)NCID B A65954655識別子"B A65954655"は正しくありません。
- ブルーガイド編集部(編)『地図と写真で見る東京オリンピック1964』(実業之日本社、2015年) ISBN 978-4-408-00868-4
出典
- ^ オリンピック東京大会組織委員会(1966), p230
- ^ ブルーガイド編集部(2015), p27
- ^ “CISSE’S LAST-GASP TAEKWONDO GOLD FIRST FOR IVORY COAST”. olympic.org (2016年8月19日). 2017年12月14日閲覧。
外部リンク
- コートジボワールオリンピック委員会
- オリンピックのコートジボワール選手団 - Olympics at Sports-Reference.com