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== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
=== カンテラ ===
=== カンテラ ===
*1997-1999 {{flagicon|ESP}}[[FCバルセロナB]](2部 B / 2部) 61試合 / 2得点
*1997-1999 {{flagicon|ESP}}[[FCバルセロナB]](2部 B / 2部) 61試合 / 4得点
=== [[プリメーラ・ディビシオン]] ===
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*1998- {{flagicon|ESP}}[[FCバルセロナ]] 276試合 / 26得点
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**[[1998年]][[8月19日]] [[スーペル・コパ|スペイン・スーパーカップ]]の[[RCDマヨルカ]]戦でトップチーム・デビュー、初ゴールを決める。
**[[1998年]][[8月19日]] [[スーペル・コパ|スペイン・スーパーカップ]]の[[RCDマヨルカ]]戦でトップチーム・デビュー、初ゴールを決める。



2010年7月12日 (月) 09:03時点における版

シャビ
名前
本名 シャビエル・エルナンデス・クレウス
愛称 シャビ、チャビ
ラテン文字 Xavier Hernández Creus
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1980-01-25) 1980年1月25日(44歳)
出身地 カタルーニャ州テラッサ
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム FCバルセロナ
ポジション MF
背番号 6
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1998
1998-
スペインの旗FCバルセロナB
スペインの旗FCバルセロナ
61 (4)
352 (35)
代表歴2
2000- スペインの旗 スペイン 94 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年5月18日現在。
2. 2010年7月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

シャビエル・エルナンデス・クレウス(Xavier Hernández Creus, 通称:シャビXavi), 1980年1月25日 - )は、スペインカタルーニャ州テラッサ市出身、リーガ・エスパニョーラFCバルセロナに所属するスペイン代表サッカー選手。ポジションは MFピボーテ)。

日本での呼び方は「シャビ」が一般的だが、実際の発音は「チャビ」のほうがより近い。「チョコレート」と同じ音であると本人も語っている。(スペイン標準語ではシャビ、バルセロナ方言ではチャビ)

経歴

クラブ

1991年、シャビは11歳でFCバルセロナに入団した。入団後はカンテラで順調にキャリアを重ね、1997-1998シーズンにリザーブチームであるバルセロナBへ昇格している。この時期のシャビはトップチームのキャプテンであり、チームの要であったジョゼップ・グアルディオラの後継者として期待されていた。

翌1998-1999シーズンに18歳でトップチーム・デビューを果たした。2001年の夏にグアルディオラがチームを去るまで、中盤の底でともに出場することが多かった。グアルディオラの退団にともない、2001-2002シーズンからはオランダ代表MFフィリップ・コクーとコンビを組むことが多くなり、またそれまでグアルディオラが担っていた、中盤の底からゲームメイクするピポーテのポジションを受け継ぐことになった。

2003-2004シーズンにはカンテラからアンドレス・イニエスタが昇格し、退団したコクーにかわってコンビを組むことが多くなった。また、この時期にデコが加入したことで、シャビ、イニエスタ、デコと並ぶ中盤は高いボールポゼッションを保つようになり、2004-2005シーズンのリーガ優勝に大いに貢献した。

2005-2006シーズンもFCバルセロナの中心として活躍が期待されていたが、2005年12月、練習中に右膝前十字靭帯を断裂する重傷を負い、2006年4月までの5ヶ月間を治療とリハビリにあてることになった。チームはこのシーズンもリーガ優勝し二連覇、またUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たしたが、シャビ自身は不完全燃焼のシーズンとなった。

リーガ二連覇、チャンピオンズリーグ優勝を果たしたFCバルセロナであったが、2006-2007シーズン、2007-2008シーズンと連続して優勝を逃し、フランク・ライカールトが責任をとって監督を辞任することになった。辞任したライカールトにかわってかつてのチームメイトで、FCバルセロナの象徴的選手だったグアルディオラが監督に就任した。グアルディオラはロナウジーニョ、デコ、サミュエル・エトオを戦力外とみなし、デコとロナウジーニョが退団した為、中盤はシャビ、イニエスタ、ヤヤ・トゥーレもしくはセイドゥ・ケイタという形で戦うことになった。

こうして新監督のもとに臨んだ2008-2009シーズンは、シャビ、イニエスタ、ヤヤもしくはケイタの中盤と、ティエリ・アンリリオネル・メッシ、エトオの前線が大いに機能し、スペイン史上初の三冠を達成した。シャビも中心選手としてシーズンを通して活躍し、三冠達成に大きく貢献した。特にマンチェスター・ユナイテッドFCとのチャンピオンズリーグ決勝戦ではイニエスタとともに中盤を支配し、試合後、アレックス・ファーガソン監督は「彼はこれまで一度もボールを奪われたことがないのではないか。」とシャビのプレーに脱帽した。こういった活躍が認められ、2009年8月、UEFAの最優秀MFに選ばれ、メッシと共にバルサの選手では5部門中3部門を独占する形となった。

スペイン代表

スペイン代表でのシャビ(EURO2008)

2000年11月15日オランダ戦で代表デビューを飾る。 2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では、大会を通じてレギュラーではなかったが(他にパラグアイ戦、南アフリカ戦に出場)、準々決勝の韓国戦では膠着状態の試合の流れを変える切り札として延長戦前半途中から投入され、直後に鋭いスルーパスを繰り出す。更に、この試合のPK戦で、交代出場選手でありながら3番目のキッカーに指名されるなど、ホセ・アントニオ・カマーチョ監督から一定の信頼を置かれていたことが窺える。   EURO2004・ポルトガル大会ではイニャキ・サエス監督に出場機会を全く与えられないまま、スペイン代表は1勝1敗1分という惨憺たる結果で1次リーグ敗退、大会を去る事となった。

2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会出場を目指し、若返りを図るスペイン代表で、プレーメークを担当するピボーテのポジションを、バラハバレロンデ・ラ・ペーニャグティシャビ・アロンソらと実戦の中で争い、早々にルイス・アラゴネス監督の信頼を勝ち取ってレギュラーに定着。シャビは、エースのラウールと共に代表の中心として、不動のピボーテとしてヨーロッパ予選(予選グループ10試合中8試合とプレーオフ2試合の合計10試合)を戦い スペイン代表を8大会連続12度目のワールドカップ本選出場へ導いた。

EURO2008・オーストリア/スイス大会では当初からチームの中心としてプレー。イニエスタダビド・シルバセスク・ファブレガスと共にクアトロ・フゴーネス(4人の創造者)と呼ばれる中盤を形成し、圧倒的なテクニックとボールポゼッションで44年ぶりにスペインを2度目の優勝に導いた。また、個人としても準決勝のロシア戦で先制点を挙げ、さらに決勝では1トップのフェルナンド・トーレスに、ドイツDF2人の間を抜ける絶妙のスルーパスを送り決勝点をアシストするなどの目覚しい働きを見せた事もあり、欧州サッカー連盟(UEFA)は大会MVPにシャビを選出した。尚、準決勝のロシア戦でシャビが上げたゴールは、EURO史上500ゴール目となるメモリアルゴールであった。

プレースタイル

卓越したボールコントロール技術と正確なパス、状況判断力と攻撃における献身さを持つ中盤のゲームメーカー。必要以上に技巧を凝らしたプレーはせず、シンプルなトラップとボールタッチを好む。中盤の中央に位置する選手として恵まれたフィジカルを持ってはいないが、高い判断力で中盤で存在感を放つ。トラップやドリブルでは相手が寄せてくる方の逆で、かつ自分がプレーしやすい間合いに確実にボールを置くことが出来るため、ほとんどボールを失うことがない。自らを「中盤のオーガナイザー」と称す。

名だたるゲームメーカーと比較したときに特筆すべきはテンポを作る能力である。スペースを見つけボールを受け、パスを回してはまたボールを受けに行く。この一連の動きを献身的にこなし、攻撃のテンポを作る。90分間この動きで前線の攻撃を支える。パスによって局面を打開するチャンスメーカーというよりは、文字通りゲームメーカーとしての役割を担う。

パス能力そのものも高く、迅速且つ的確な判断力に長けており、ピンポイントのクロス・スルーパスを繰り出す。ショートパスからラストパスに至るまで、シャビが出すパスの総数・成功率はチーム随一である。ただし、ロングレンジのパスの頻度は高くなく、精度もよく比較される選手であるイニエスタ等と比べれば劣る。

加えて、自ら出したパスをフォローする動きや、先を読んだディフェンスのポジショニングも抜群に優れている。戦況に応じて、的確にポジションを修正しながら味方選手をサポートする動きに長け、バランサーとしての能力が高い。さらに、パス回しの過程で頻繁に見られるのだが、あえて近くの味方に簡単にパスを当ててその間に動きなおし、リターンをもらうと同時に優位な体勢で次のプレーへ移るという、非常に頭脳的なプレーをする。これらの事から、シャビの長所は常に2手、3手先を読んだ判断力にあると言える。

近年はゴールへの意識も高まり、タイミングよくペナルティエリア周辺に出没し、苦しい試合には点を決められる決定力も備わってきている。

エピソード

グアルディオラの後継者

  • カンテラ在籍当時、トップチームのカリスマピボーテだったグアルディオラに、自らの「後継者」と認められる。
    彼の後継者と周囲から期待される選手は数知れないが、プレースタイル・キャリア等を考慮した客観的な見地に立つと、シャビが最も後継者に近い存在であった。そして、EURO 2008で、スペイン代表をチームの中心選手として優勝に導き、個人としてもMVPに輝いたことから、代表としてはついにタイトルに縁がなかったグアルディオラを超え、シャビはシャビとしての地位を確立したとも言えよう。カンテラ時代にシャビの才能を見抜いたグアルディオラの慧眼も狂いはなかったと言える。
  • 2009年、グアルディオラが監督に就任したバルセロナでシャビは中心選手してチームを牽引。リーグ制覇、国内カップ戦制覇に加えてチャンピオンズ・リーグも制覇し、クラブ史上初の三冠を達成した。

怪我との闘い

  • 2005年12月2日 雨中の練習中、グラウンドの泥濘に足を取られて転倒。右膝前十字靭帯を断裂し、全治6ヵ月と診断される。
  • 手術では、膝蓋形成による靭帯の再生処置が施された。
    その際、担当医師はシャビの手術に立ち向かう際の精神力と決断の早さについて「強靭な精神を持った青年」と称えた。
  • カンテラ在籍当時からのチームメイトであり、私生活でもシャビの親友であるガブリは、彼の怪我について、「自分はかなり戸惑っているが、彼自身はピッチにいる時と同じように落ち着いており、元気な様子だった。肉体的には最悪だが、精神的には落ち着いているようだ」と様子を語り、「彼は今まで大きな怪我などした経験がなかったから、こんなことが起こるとは嘘のようだ。自分はシャビのポジションでプレーした経験があるが、彼の代役を務めるのは難しい。彼のような選手は2人といない」と続けている。
  • シャビは理学療法士の下でリハビリに取り組んだ。
  • スペイン代表のアラゴネス監督は、「代表にとって非常に重要な選手だから、ワールドカップまでとにかく回復を待つ」と語る一方、シャビが出場出来ない事態を想定して、若い頃の彼を彷彿とさせる、当時18歳のセスク・ファブレガスを親善試合でデビューさせて試すなど、チームのバックアップ態勢構築に務めた。
  • 2006年3月 手術直後の診断より2ヶ月早く練習場に姿を現す。
    その時既にランニング、ボールを使った練習が出来る状態にあり、チームへの早期復帰に自信を示した。
  • 2006年4月 リーガ・エスパニョーラ第35節、カディス戦の後半35分、デコに代わってピッチに登場。
    バルササポーターの割れんばかりの拍手で出迎えられたシャビはピボーテの位置に入り、10分間プレー、復帰を果たした。

その他

  • 11歳の時にはじめてもらった24ユーロ(約3200円)の給料は、故郷の母へトースターをプレゼントするのに使った[1]
  • チェルシーインテルミラノ等守備的な戦術をとるチームを「アンチ・フットボールである」、「フットボールをする気がない」等とけなす発言をすることがあり、当該チームのファンから敵意を持たれることが多い。[2]

所属クラブ

カンテラ

代表歴

2000年11月15日 オランダ戦で代表デビュー。 94試合 / 8得点

タイトル

クラブ

代表

オリンピック
男子競技サッカー
2000 男子競技サッカー
後にチームメイトとなるサミュエル・エトオを擁するU-23カメルーン代表と決勝で対戦、シャビがFKで先制点、ガブリが追加点を挙げたが、同点に追いつかれ、最終的にPK戦で破れ、銀メダルに終わった。
緒戦からチームを引っ張り優勝に導いたほか、ベスト11にも選出され、MVPを受賞した。

個人

  • 1998-1999 最優秀新人選手(リーガ・エスパニョーラ)
  • 1999 ベストイレブン(FIFAワールドユース選手権)
  • 2004-2005 最優秀スペイン人選手(リーガ・エスパニョーラ)
  • 2005-2005 2005年最優秀スペイン人選手(リーガ・エスパニョーラ)
  • 2008 最優秀選手(EURO2008)

脚注

  1. ^ uefa.com (2009年9月22日). “”究極の野望”を抱くシャビ”. 2009年9月23日閲覧。
  2. ^ sportsnavi2009年4月30日付