コンテンツにスキップ

「コロ・トゥーレ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
TYSGCFAN (会話 | 投稿記録)
95行目: 95行目:
|35||0||0||7||0||0||8||1||0||50||1||0
|35||0||0||7||0||0||8||1||0||50||1||0
|-
|-
|[[プレミアリーグ2006-2007|2006-07]]
|[[プレミアリーグ2005-2006|2005-06]]
|33||0||0||1||0||0||12||1||1||46||1||1
|33||0||0||1||0||0||12||1||1||46||1||1
|-https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/w/index.php?title=Kolo_Tour%C3%A9&action=edit&section=15
|-https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/w/index.php?title=Kolo_Tour%C3%A9&action=edit&section=15

2013年7月2日 (火) 16:49時点における版

コロ・トゥーレ
名前
本名 ハビブ・コロ・トゥーレ
Habib Kolo Touré
ラテン文字 Kolo TOURÉ
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 (1981-03-19) 1981年3月19日(43歳)
出身地 ブアケ
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 リヴァプールFC
ポジション DF (CB、RSB)
背番号 4
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002
2002-2009
2009-2013
2013-
ASECミモザ
アーセナルFC
マンチェスター・シティFC
リヴァプールFC
14 (3)
225 (9)
67 (2)
代表歴2
2000- コートジボワールの旗 コートジボワール 100 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月13日現在。
2. 2012年8月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハビブ・コロ・トゥーレHabib Kolo Touré1981年3月19日 - )は、コートジボワールブアケ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはDFプレミアリーグリヴァプール所属。マンチェスター・シティ所属選手のヤヤ・トゥーレスムーハSC (Smouha Sporting Club) 所属選手のイブラヒム・トゥーレ (Ibrahim Touré) は共に弟。

経歴

アーセナルFC

母国クラブ、ASECアビジャンでプレーしていた2002年7月アーセナルの入団試験を受け合格し、そのままアーセナルのトップチームに加入した。8月、コミュニティーシールドリヴァプールFC戦でトップチームデビューを果たした。チェルシーFC戦ではアーセナルでの初ゴールを記録した。

2002-03シーズンは主にボランチやサイドバックで起用されたが、翌2003-04からセンターバックにコンバートされ、レギュラーを獲得。ソル・キャンベルとのコンビでこの年のアーセナル無敗優勝に貢献した。コートジボワール代表でも守備の要として活躍している。2006-07シーズンからは、アーセナルでの背番号が28から5になった。2007-08シーズンより、第2キャプテンとなりキャプテンマークを巻く機会もあった。

マンチェスター・シティFC

マンチェスター・シティでプレーするトゥーレ

2009年7月29日、同じプレミアリーグマンチェスター・シティFCに移籍金1500万ポンド(1800万ユーロ)、4年契約で移籍。シティでの最初のシーズンはキャプテンを任され、9月23日、フットボールリーグカップフラムFC戦で移籍後初ゴールを記録。11月7日のバーンリーFC戦では移籍後リーグ戦初ゴールを記録し、チームのリーグ戦5位に貢献した。

2010-11シーズンはキャプテンマークをカルロス・テベスに譲ったものの、チームの守備の要としてロベルト・マンチーニ監督の信頼を得ていた。

2011年3月3日イングランドサッカー協会はコロ・トゥーレがドーピング検査で陽性反応を示したことを明らかにした[1]。本人曰く「妻のダイエット薬を服用した」とのことだが、イングランド協会は6ヶ月の出場停止処分を科した。

リヴァプールFC

2013年5月28日、自由移籍でリヴァプールFCへの加入が決定[2]

代表歴

コートジボワール代表として2000年にルワンダ代表戦でデビューを果たした。アフリカネイションズカップ2006ではチ-ムの決勝戦進出に貢献した。その後2006 FIFAワールドカップ2010 FIFAワールドカップにも出場した。

エピソード

  • アーセナルの入団試験の時、ボールを一生懸命に追って行ってアーセン・ベンゲル監督と激突してしまった。また、その際のトライアルマッチに参加していたデニス・ベルカンプを激しく削っていた。

所属クラブ

個人成績

アーセナル時代のトゥーレ

クラブでの成績

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
アーセナルFC 2002-03 26 2 1 7 0 0 7 0 0 40 2 1
2003-04 37 1 1 8 2 0 10 0 0 55 3 1
2004-05 35 0 0 7 0 0 8 1 0 50 1 0
2005-06 33 0 0 1 0 0 12 1 1 46 1 1
2006-07 35 3 3 8 1 1 10 0 0 53 4 4
2007-08 30 2 3 2 0 1 9 0 0 41 2 4
2008-09 29 1 1 3 0 0 9 0 0 41 1 1
通算 225 9 9 36 3 2 65 2 1 326 14 12
マンチェスター・シティFC 2009-10 31 1 0 2 1 0 0 0 0 33 2 1
2010-11 22 1 0 5 0 0 2 0 0 29 1 0
通算 53 2 0 7 1 0 2 0 0 62 3 1
総通算 278 11 9 43 4 2 67 2 1 388 17 13

代表での得点

代表でのトゥーレ
 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2002年10月8日 コートジボワールの旗 アビジャン  リビア 1-2 1-2 アフリカネイションズカップ2008予選
2. 2003年6月25日 タジキスタンの旗 ドゥシャンベ  タジキスタン 2–1 8–1 親善試合
3. 2010年6月4日 スイスの旗 シオン  日本 2–0 2–0 親善試合
4. 2010年8月10日 イングランドの旗 ロンドン  イタリア 1–0 1–0 親善試合
5. 2011年10月9日 コートジボワールの旗 ヤムスクロ  ブルンジ 1–0 2–1 アフリカネイションズカップ2012予選
6. 2012年6月9日 モロッコの旗 マラケシュ  モロッコ 2–1 2–2 2014 FIFAワールドカップ・アフリカ予選

タイトル

クラブ
コートジボワールの旗 ASECミモザ
  • コートジボワール・プレミア・ディビジョン: 2001, 2002
イングランドの旗 アーセナルFC
イングランドの旗 マンチェスター・シティFC
  • FAカップ: 2011
  • プレミアリーグ: 2011-12

脚注

外部リンク