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2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、[[コッパ・イタリア]]では決勝で[[ASローマ]]との[[デルビー・デッラ・カピターレ|ローマ・ダービー]]を制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。
2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、[[コッパ・イタリア]]では決勝で[[ASローマ]]との[[デルビー・デッラ・カピターレ|ローマ・ダービー]]を制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。


[[セリエA (サッカー) 2015-2016|2015-16シーズン]]は[[ヴェスレイ・フート]]や、数年後に[[FCバルセロナ]]や[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスターユナイテッド]]などから注目を集めることになる<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2018/05/28/manchester-united-make-first-bid-for-sergej-milinkovic-savic-kgn-1|title=141億円でも足りず?ユナイテッド、ミリンコヴィッチ=サヴィッチに接近|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>[[セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ|セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ]]らを獲得。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのプレーオフでは[[バイエル・レバークーゼン]]に敗れ、本選出場を逃す。怪我人の続出もあり成績が伸び悩む中、4月3日に監督の[[ステファノ・ピオリ|ステーファノ・ピオーリ]]が解任され、[[シモーネ・インザーギ]]がシーズン終了まで暫定監督を務めることになった<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2016/04/04/lazio-sacked-stefano-pioli|title=新指揮官はインザーギ弟!ダービー敗北のラツィオが監督交代を決断|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>。しかし、最終的にはセリエAは8位に留まり、来シーズンの欧州への切符は逃すこととなった。
2016年7月6日、[[マルセロ・ビエルサ]]監督の就任を発表。しかし、選手補強の約束が果たされなかったなどの理由でわずか2日後に辞任。

[[セリエA (サッカー) 2016-2017|2016-17シーズン]]は混乱のスタートとなった。7月6日、[[マルセロ・ビエルサ]]監督の就任が公式発表された<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2016/07/07/lazio-signed-with-marcelo-bielsa-as-new-manager|title=ビエルサ・ラツィオついに誕生!予想される補強は誰?|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>。しかし、約束した選手の補強が果たされなかったとの理由でわずか2日後に辞任し<ref>{{Cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2016/07/09/25457272/%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E8%BE%9E%E4%BB%BB%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E3%81%A8%E4%B8%BB%E5%BC%B5-%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%97%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%8D%B2%E5%BE%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84|title=ビエルサ、「辞任」はラツィオの責任と主張 「約束した7選手の誰も獲得していない」 {{!}} Goal.com|accessdate=2019-01-05|website=www.goal.com|language=ja}}</ref>、後任に再びシモーネ・インザーギが就いた。その中で[[ルイス・アルベルト]]やトマス・ストラコシャ、元セリエA得点王の[[チーロ・インモービレ]]等を獲得。シーズンが始まってみると、ミリンコヴィッチ=サヴィッチのブレイクやインモービレが23得点を挙げるなどの活躍もあり、セリエAは5位でフィニッシュ。ヨーロッパリーグの出場権を獲得した。


== タイトル ==
== タイトル ==

2019年1月5日 (土) 04:35時点における版

SSラツィオ
原語表記 Società Sportiva Lazio S.p.A.
愛称

Biancocelesti, Biancazzurri (白と青)

Aquile, Aquilotti (鷲、鷲のひなどり)
創設年 1900年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ローマ
ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ
収容人数 72,698
代表者 イタリアの旗 クラウディオ・ロティート
監督 イタリアの旗 シモーネ・インザーギ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

SSラツィオSocietà Sportiva Lazio S.p.A.)は、イタリアローマ市(ラツィオ州)を本拠地とするサッカークラブチーム。

概要

愛称はBiancocelestiで、チームカラーは水色。通称はラツィオ。サポーターはラツィアーレと呼ばれる。

ローマとは同じスタディオ・オリンピコを本拠地とするが、ローマは主としてローマ市内での人気が高いのに対し、ラツィオは広くラツィオ州に支持者を持つ。

この2チームのダービーマッチローマ・ダービーとして盛り上がりをみせ、熱狂的なサポーター同士の暴力沙汰や器物損壊などの騒動も少なくない。

イタリア国内では初めて株式を上場したサッカークラブでもある。

歴史

リベルタ広場にある創立記念プレート

1900年に設立。前身は、イタリア人将校ルイジ・ビビアレッリが創立した「ソシエタ・ポデスティカ・ラツィオ(Società Podistica Lazio=ラツィオ競歩協会)」である。

1958年にコッパ・イタリアを獲得。これがクラブにとっての初タイトルであった。1973-74に初めてスクデットを獲得して以降は低迷し、セリエBとセリエAを行き来するようになった。また、成績面においてもライバルのローマに大きく水を開けられる状態であった。

セルジョ・クラニョッティ会長時代

こうした状況を打破するため、1992年に大手食品会社チリオのオーナー、セルジョ・クラニョッティが会長に就任する。

ディノ・ゾフが監督を務めて以降は上位に顔を出すようにはなったが、当時はクラニョッティ自身が多忙だったため、1994年には監督だったゾフにフロントを任せて、ゾフの後任にズデネク・ゼーマンを招聘する。

1997年にスヴェン・ゴラン・エリクソンが監督に就任して以降は多くのタイトルを獲得することになる。

1998年にイタリアのクラブでは初めて株式を上場し、これによって潤沢な資金を得たクラブは、シニシャ・ミハイロヴィチイバン・デ・ラ・ペーニャセルジオ・コンセイソンデヤン・スタンコヴィッチクリスチャン・ヴィエリマルセロ・サラスといったスター選手を次々に獲得すると、戦力が大きくアップしたチームは優勝争いに加わるようになる。その結果、1999年には最初で最後のUEFAカップウィナーズカップ優勝、次いでUEFAスーパーカップ優勝、2000年には26年ぶりのリーグ優勝とコッパ・イタリア制覇とクラブ史上初の2冠を達成するなど大きな成功を手にした。

しかし、サッカーバブル崩壊と共に、株式上場が裏目に出たことやチリオの業績悪化の影響を受けて多くの負債を抱えるようになった。これにより、多くのスター選手が移籍市場に売り出され、ついに、2002年には生え抜きでチームのキャプテンでもあったアレッサンドロ・ネスタACミランに売り出さなければならないほどにまでクラブの財政は悪化した。

その後、クラニョッティ一族は2003年にクラブ経営から退き、一族の顧問弁護士であったウーゴ・ロンゴが管財人として会長職に就任した。

クラウディオ・ロティート会長時代

クラニョッティによるラツィオの経営が悪化すると、2004年に清掃・警備会社等を経営する実業家クラウディオ・ロティートが買収に乗り出しクラブを買収。会長に就任する。

極度の財政難のため緊縮財政を実施しており、補強はきわめて限られた財政力で行なわれている。緊縮財政を反映して選手の給与額を制限し、大型補強もほとんど行なわないため、ラツィアーレからの反感を買うことも多いが、ラツィオが多額の負債を抱えながらも生き残っているのはロティートの辣腕に負うところが大きい。2005年には、1億4000万ユーロ(約195億円)と言われる負債の23年の分割払いで税務当局と合意するなど、優れた手腕を発揮した。

ロティートはルチアーノ・モッジとの親交が深かったが、その深さが仇となり、カルチョ・スキャンダルへの関与が疑われた。こうして2006年7月14日、セリエAの八百長問題に関連して「セリエB降格および勝ち点-7点からのリーグ戦開始」との判決が下される。7月25日、控訴審判決においてセリエA残留、2006-07シーズンの勝ち点-11でのシーズン開始と2005-06シーズンの勝ち点-30の判決が下された。後の判決によって、2006-07シーズンのペナルティが勝ち点-3に削減された。この事件についてはカルチョ・スキャンダルの項を参考のこと。

2006-07シーズン、クラブには重いペナルティが課されたが、デリオ・ロッシ監督の下、デルビー・ロマーノで歴史的大勝(ラツィオが3点差以上のスコアをつけて勝利したのは初めて)をするなどして最終的にシーズン3位でUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得するなど、再生は堅実に進められた。2008-09シーズンはセリエAでは10位に終わるものの、コッパ・イタリアを制し、続くイタリア・スーパーカップも獲得した。

2009-10シーズン、移籍希望を公言したゴラン・パンデフにロティートが激怒し、同様の訴えをしたクリスティアン・レデスマなど主力数選手などと共に戦力外扱いされる出来事があり、その影響などから成績不振が続いた。

2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、コッパ・イタリアでは決勝でASローマとのローマ・ダービーを制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。

2015-16シーズンヴェスレイ・フートや、数年後にFCバルセロナマンチェスターユナイテッドなどから注目を集めることになる[1]セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチらを獲得。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのプレーオフではバイエル・レバークーゼンに敗れ、本選出場を逃す。怪我人の続出もあり成績が伸び悩む中、4月3日に監督のステーファノ・ピオーリが解任され、シモーネ・インザーギがシーズン終了まで暫定監督を務めることになった[2]。しかし、最終的にはセリエAは8位に留まり、来シーズンの欧州への切符は逃すこととなった。

2016-17シーズンは混乱のスタートとなった。7月6日、マルセロ・ビエルサ監督の就任が公式発表された[3]。しかし、約束した選手の補強が果たされなかったとの理由でわずか2日後に辞任し[4]、後任に再びシモーネ・インザーギが就いた。その中でルイス・アルベルトやトマス・ストラコシャ、元セリエA得点王のチーロ・インモービレ等を獲得。シーズンが始まってみると、ミリンコヴィッチ=サヴィッチのブレイクやインモービレが23得点を挙げるなどの活躍もあり、セリエAは5位でフィニッシュ。ヨーロッパリーグの出場権を獲得した。

タイトル

スタディオ・オリンピコ

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン コッパ・イタリア
リーグ 順位
1996 - 1997 セリエA 4位 34 15 10 9 54 37 +17 55 準々決勝敗退
1997 - 1998 セリエA 7位 34 16 8 10 53 30 +23 56 優勝
1998 - 1999 セリエA 2位 34 20 9 5 65 31 +34 69 準々決勝敗退
1999 - 2000 セリエA 1位 34 21 9 4 64 31 +33 72 優勝
2000 - 2001 セリエA 3位 34 21 6 7 65 36 +29 69 準々決勝敗退
2001 - 2002 セリエA 6位 34 14 11 9 50 37 +13 53 準々決勝敗退
2002 - 2003 セリエA 4位 34 15 15 4 57 32 +25 60 準決勝敗退
2003 - 2004 セリエA 6位 34 16 8 10 52 38 +14 56 優勝
2004 - 2005 セリエA 10位 38 11 11 16 48 53 -5 44 ベスト16
2005 - 2006 セリエA 16位 38 16 14 8 57 47 +10 32 準々決勝敗退
2006 - 2007 セリエA 3位 38 18 11 9 59 33 +26 62 3回戦敗退
2007 - 2008 セリエA 12位 38 11 13 14 47 51 -4 46 準決勝敗退
2008 - 2009 セリエA 10位 38 15 5 18 46 55 -9 50 優勝
2009 - 2010 セリエA 12位 38 11 13 14 39 43 -4 46 準々決勝敗退
2010 - 2011 セリエA 5位 38 20 6 12 55 39 +16 66 ベスト16
2011 - 2012 セリエA 4位 38 18 8 12 56 47 +9 62 準々決勝敗退
2012 - 2013 セリエA 7位 38 18 7 13 51 42 +9 61 優勝
2013 - 2014 セリエA 9位 38 15 11 12 54 54 0 56 準々決勝敗退
2014 - 2015 セリエA 3位 38 21 6 11 71 38 +33 69 準優勝
2015 - 2016 セリエA 8位 38 15 9 14 52 52 0 54 準々決勝敗退
2016 - 2017 セリエA 5位 38 21 7 10 74 51 +23 70 準優勝
2017 - 2018 セリエA 5位 38 21 9 8 89 49 +40 72 準決勝敗退
2018 - 2019 セリエA 38

※2005-06シーズンはシーズン終了後勝ち点-30のペナルティ(6位→16位)、2006-07シーズンは勝ち点-3でシーズン開始

欧州の成績

現所属メンバー

セリエA 2018-19 基本フォーメーション


2018年9月1日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK アルバニア トーマス・ストラコシャ
3 DF ブラジル ルイス・フェリペ ()
4 DF スペイン パトリック
5 DF ベルギー ジョルダン・ルカク ()
6 MF ブラジル ルーカス・レイヴァ ()
7 MF コソボ ヴァロン・ベリシャ ()
8 DF セルビア ドゥシャン・バスタ
9 FW イタリア アレッサンドロ・ロッシ
10 FW スペイン ルイス・アルベルト
11 MF アルゼンチン ホアキン・コレア ()
13 DF ブラジル ワラシ
14 DF デンマーク リザ・ドゥルミシ
15 DF アンゴラ バストス
16 MF イタリア マルコ・パローロ
17 FW イタリア チーロ・インモービレ
19 MF ボスニア・ヘルツェゴビナ セナド・ルリッチ ()★()
20 FW エクアドル フェリペ・カイセド
No. Pos. 選手名
21 MF セルビア セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ ()
22 DF ウルグアイ マルティン・カセレス
23 GK イタリア グイド・グエリエリ
24 GK ベルギー シルヴィオ・プロト
25 MF クロアチア ミラン・バデリ
26 DF ルーマニア シュテファン・ラドゥ (副主将)
28 MF カメルーン ジョゼフ・ミナーラ
30 FW ポルトガル ペドロ・ネト
31 GK リトアニア マリウス・アダモニス
32 MF イタリア ダニーロ・カタルディ
33 DF イタリア フランチェスコ・アチェルビ
48 DF イタリア ロレンツォ・フィリッピーニ
66 MF ポルトガル ブルーノ・ジョルダン
77 DF モンテネグロ アダム・マルシッチ ()★
87 FW イタリア クリスティアーノ・ロンバルディ
96 MF イタリア アレッサンドロ・ムルジャ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF イタリア ルカ・ジェルモニ (ペルージャ)
-- MF イングランド ラヴェル・モリソン (アトラス)
-- MF オーストラリア クリストファー・オイコノミディス (ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ)
-- MF イタリア マッティア・スプロカーティ (パルマ)
No. Pos. 選手名
-- MF イタリア ダヴィデ・ディ・ジェンナーロ (サレルニターナ)
-- FW オランダ リカルド・キシュナ (デン・ハーグ)
-- FW イタリア ダニエレ・ベッツィチェッリ (レッジーナ)
-- FW イタリア フランチェスコ・オルランド (サレルニターナ)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

(※)は冬季移籍期間中の移籍であることを示す

外部リンク

  1. ^ 141億円でも足りず?ユナイテッド、ミリンコヴィッチ=サヴィッチに接近”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
  2. ^ 新指揮官はインザーギ弟!ダービー敗北のラツィオが監督交代を決断”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
  3. ^ ビエルサ・ラツィオついに誕生!予想される補強は誰?”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
  4. ^ ビエルサ、「辞任」はラツィオの責任と主張 「約束した7選手の誰も獲得していない」 | Goal.com”. www.goal.com. 2019年1月5日閲覧。