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2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、[[コッパ・イタリア]]では決勝で[[ASローマ]]との[[デルビー・デッラ・カピターレ|ローマ・ダービー]]を制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。 |
2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、[[コッパ・イタリア]]では決勝で[[ASローマ]]との[[デルビー・デッラ・カピターレ|ローマ・ダービー]]を制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。 |
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[[セリエA (サッカー) 2015-2016|2015-16シーズン]]は[[ヴェスレイ・フート]]や、数年後に[[FCバルセロナ]]や[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスターユナイテッド]]などから注目を集めることになる<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2018/05/28/manchester-united-make-first-bid-for-sergej-milinkovic-savic-kgn-1|title=141億円でも足りず?ユナイテッド、ミリンコヴィッチ=サヴィッチに接近|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>[[セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ|セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ]]らを獲得。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのプレーオフでは[[バイエル・レバークーゼン]]に敗れ、本選出場を逃す。怪我人の続出もあり成績が伸び悩む中、4月3日に監督の[[ステファノ・ピオリ|ステーファノ・ピオーリ]]が解任され、[[シモーネ・インザーギ]]がシーズン終了まで暫定監督を務めることになった<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2016/04/04/lazio-sacked-stefano-pioli|title=新指揮官はインザーギ弟!ダービー敗北のラツィオが監督交代を決断|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>。しかし、最終的にはセリエAは8位に留まり、来シーズンの欧州への切符は逃すこととなった。 |
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2016年7月6日、[[マルセロ・ビエルサ]]監督の就任を発表。しかし、選手補強の約束が果たされなかったなどの理由でわずか2日後に辞任。 |
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[[セリエA (サッカー) 2016-2017|2016-17シーズン]]は混乱のスタートとなった。7月6日、[[マルセロ・ビエルサ]]監督の就任が公式発表された<ref>{{Cite web|url=https://qoly.jp/2016/07/07/lazio-signed-with-marcelo-bielsa-as-new-manager|title=ビエルサ・ラツィオついに誕生!予想される補強は誰?|accessdate=2019-01-05|website=Qoly}}</ref>。しかし、約束した選手の補強が果たされなかったとの理由でわずか2日後に辞任し<ref>{{Cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2016/07/09/25457272/%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E8%BE%9E%E4%BB%BB%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E3%81%A8%E4%B8%BB%E5%BC%B5-%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%97%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%8D%B2%E5%BE%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84|title=ビエルサ、「辞任」はラツィオの責任と主張 「約束した7選手の誰も獲得していない」 {{!}} Goal.com|accessdate=2019-01-05|website=www.goal.com|language=ja}}</ref>、後任に再びシモーネ・インザーギが就いた。その中で[[ルイス・アルベルト]]やトマス・ストラコシャ、元セリエA得点王の[[チーロ・インモービレ]]等を獲得。シーズンが始まってみると、ミリンコヴィッチ=サヴィッチのブレイクやインモービレが23得点を挙げるなどの活躍もあり、セリエAは5位でフィニッシュ。ヨーロッパリーグの出場権を獲得した。 |
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== タイトル == |
== タイトル == |
2019年1月5日 (土) 04:35時点における版
SSラツィオ | |||
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原語表記 | Società Sportiva Lazio S.p.A. | ||
愛称 |
Biancocelesti, Biancazzurri (白と青) Aquile, Aquilotti (鷲、鷲のひなどり) | ||
創設年 | 1900年 | ||
所属リーグ | セリエA | ||
ホームタウン | ローマ | ||
ホームスタジアム | スタディオ・オリンピコ | ||
収容人数 | 72,698 | ||
代表者 | クラウディオ・ロティート | ||
監督 | シモーネ・インザーギ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
SSラツィオ(Società Sportiva Lazio S.p.A.)は、イタリア・ローマ市(ラツィオ州)を本拠地とするサッカークラブチーム。
概要
愛称はBiancocelestiで、チームカラーは水色。通称はラツィオ。サポーターはラツィアーレと呼ばれる。
ローマとは同じスタディオ・オリンピコを本拠地とするが、ローマは主としてローマ市内での人気が高いのに対し、ラツィオは広くラツィオ州に支持者を持つ。
この2チームのダービーマッチはローマ・ダービーとして盛り上がりをみせ、熱狂的なサポーター同士の暴力沙汰や器物損壊などの騒動も少なくない。
イタリア国内では初めて株式を上場したサッカークラブでもある。
歴史
1900年に設立。前身は、イタリア人将校ルイジ・ビビアレッリが創立した「ソシエタ・ポデスティカ・ラツィオ(Società Podistica Lazio=ラツィオ競歩協会)」である。
1958年にコッパ・イタリアを獲得。これがクラブにとっての初タイトルであった。1973-74に初めてスクデットを獲得して以降は低迷し、セリエBとセリエAを行き来するようになった。また、成績面においてもライバルのローマに大きく水を開けられる状態であった。
セルジョ・クラニョッティ会長時代
こうした状況を打破するため、1992年に大手食品会社チリオのオーナー、セルジョ・クラニョッティが会長に就任する。
ディノ・ゾフが監督を務めて以降は上位に顔を出すようにはなったが、当時はクラニョッティ自身が多忙だったため、1994年には監督だったゾフにフロントを任せて、ゾフの後任にズデネク・ゼーマンを招聘する。
1997年にスヴェン・ゴラン・エリクソンが監督に就任して以降は多くのタイトルを獲得することになる。
1998年にイタリアのクラブでは初めて株式を上場し、これによって潤沢な資金を得たクラブは、シニシャ・ミハイロヴィチ、イバン・デ・ラ・ペーニャ、セルジオ・コンセイソン、デヤン・スタンコヴィッチ、クリスチャン・ヴィエリ、マルセロ・サラスといったスター選手を次々に獲得すると、戦力が大きくアップしたチームは優勝争いに加わるようになる。その結果、1999年には最初で最後のUEFAカップウィナーズカップ優勝、次いでUEFAスーパーカップ優勝、2000年には26年ぶりのリーグ優勝とコッパ・イタリア制覇とクラブ史上初の2冠を達成するなど大きな成功を手にした。
しかし、サッカーバブル崩壊と共に、株式上場が裏目に出たことやチリオの業績悪化の影響を受けて多くの負債を抱えるようになった。これにより、多くのスター選手が移籍市場に売り出され、ついに、2002年には生え抜きでチームのキャプテンでもあったアレッサンドロ・ネスタをACミランに売り出さなければならないほどにまでクラブの財政は悪化した。
その後、クラニョッティ一族は2003年にクラブ経営から退き、一族の顧問弁護士であったウーゴ・ロンゴが管財人として会長職に就任した。
クラウディオ・ロティート会長時代
クラニョッティによるラツィオの経営が悪化すると、2004年に清掃・警備会社等を経営する実業家クラウディオ・ロティートが買収に乗り出しクラブを買収。会長に就任する。
極度の財政難のため緊縮財政を実施しており、補強はきわめて限られた財政力で行なわれている。緊縮財政を反映して選手の給与額を制限し、大型補強もほとんど行なわないため、ラツィアーレからの反感を買うことも多いが、ラツィオが多額の負債を抱えながらも生き残っているのはロティートの辣腕に負うところが大きい。2005年には、1億4000万ユーロ(約195億円)と言われる負債の23年の分割払いで税務当局と合意するなど、優れた手腕を発揮した。
ロティートはルチアーノ・モッジとの親交が深かったが、その深さが仇となり、カルチョ・スキャンダルへの関与が疑われた。こうして2006年7月14日、セリエAの八百長問題に関連して「セリエB降格および勝ち点-7点からのリーグ戦開始」との判決が下される。7月25日、控訴審判決においてセリエA残留、2006-07シーズンの勝ち点-11でのシーズン開始と2005-06シーズンの勝ち点-30の判決が下された。後の判決によって、2006-07シーズンのペナルティが勝ち点-3に削減された。この事件についてはカルチョ・スキャンダルの項を参考のこと。
2006-07シーズン、クラブには重いペナルティが課されたが、デリオ・ロッシ監督の下、デルビー・ロマーノで歴史的大勝(ラツィオが3点差以上のスコアをつけて勝利したのは初めて)をするなどして最終的にシーズン3位でUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得するなど、再生は堅実に進められた。2008-09シーズンはセリエAでは10位に終わるものの、コッパ・イタリアを制し、続くイタリア・スーパーカップも獲得した。
2009-10シーズン、移籍希望を公言したゴラン・パンデフにロティートが激怒し、同様の訴えをしたクリスティアン・レデスマなど主力数選手などと共に戦力外扱いされる出来事があり、その影響などから成績不振が続いた。
2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、コッパ・イタリアでは決勝でASローマとのローマ・ダービーを制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。
2015-16シーズンはヴェスレイ・フートや、数年後にFCバルセロナやマンチェスターユナイテッドなどから注目を集めることになる[1]セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチらを獲得。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのプレーオフではバイエル・レバークーゼンに敗れ、本選出場を逃す。怪我人の続出もあり成績が伸び悩む中、4月3日に監督のステーファノ・ピオーリが解任され、シモーネ・インザーギがシーズン終了まで暫定監督を務めることになった[2]。しかし、最終的にはセリエAは8位に留まり、来シーズンの欧州への切符は逃すこととなった。
2016-17シーズンは混乱のスタートとなった。7月6日、マルセロ・ビエルサ監督の就任が公式発表された[3]。しかし、約束した選手の補強が果たされなかったとの理由でわずか2日後に辞任し[4]、後任に再びシモーネ・インザーギが就いた。その中でルイス・アルベルトやトマス・ストラコシャ、元セリエA得点王のチーロ・インモービレ等を獲得。シーズンが始まってみると、ミリンコヴィッチ=サヴィッチのブレイクやインモービレが23得点を挙げるなどの活躍もあり、セリエAは5位でフィニッシュ。ヨーロッパリーグの出場権を獲得した。
タイトル
国内タイトル
- セリエA:2回
- 1973-74, 1999-00
- コッパ・イタリア:6回
- 1958, 1997-98, 1999-00, 2003-04, 2008-09, 2012-13
- スーペルコッパ・イタリアーナ:4回
- 1998, 2000, 2009, 2017
国際タイトル
- UEFAカップウィナーズカップ:1回
- 1998-99
- UEFAスーパーカップ:1回
- 1999
- アムステルダム・トーナメント:1回
- 1999
過去の成績
シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | ||
1996 - 1997 | セリエA | 4位 | 34 | 15 | 10 | 9 | 54 | 37 | +17 | 55 | 準々決勝敗退 |
1997 - 1998 | セリエA | 7位 | 34 | 16 | 8 | 10 | 53 | 30 | +23 | 56 | 優勝 |
1998 - 1999 | セリエA | 2位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 65 | 31 | +34 | 69 | 準々決勝敗退 |
1999 - 2000 | セリエA | 1位 | 34 | 21 | 9 | 4 | 64 | 31 | +33 | 72 | 優勝 |
2000 - 2001 | セリエA | 3位 | 34 | 21 | 6 | 7 | 65 | 36 | +29 | 69 | 準々決勝敗退 |
2001 - 2002 | セリエA | 6位 | 34 | 14 | 11 | 9 | 50 | 37 | +13 | 53 | 準々決勝敗退 |
2002 - 2003 | セリエA | 4位 | 34 | 15 | 15 | 4 | 57 | 32 | +25 | 60 | 準決勝敗退 |
2003 - 2004 | セリエA | 6位 | 34 | 16 | 8 | 10 | 52 | 38 | +14 | 56 | 優勝 |
2004 - 2005 | セリエA | 10位 | 38 | 11 | 11 | 16 | 48 | 53 | -5 | 44 | ベスト16 |
2005 - 2006 | セリエA | 16位 | 38 | 16 | 14 | 8 | 57 | 47 | +10 | 32 | 準々決勝敗退 |
2006 - 2007 | セリエA | 3位 | 38 | 18 | 11 | 9 | 59 | 33 | +26 | 62 | 3回戦敗退 |
2007 - 2008 | セリエA | 12位 | 38 | 11 | 13 | 14 | 47 | 51 | -4 | 46 | 準決勝敗退 |
2008 - 2009 | セリエA | 10位 | 38 | 15 | 5 | 18 | 46 | 55 | -9 | 50 | 優勝 |
2009 - 2010 | セリエA | 12位 | 38 | 11 | 13 | 14 | 39 | 43 | -4 | 46 | 準々決勝敗退 |
2010 - 2011 | セリエA | 5位 | 38 | 20 | 6 | 12 | 55 | 39 | +16 | 66 | ベスト16 |
2011 - 2012 | セリエA | 4位 | 38 | 18 | 8 | 12 | 56 | 47 | +9 | 62 | 準々決勝敗退 |
2012 - 2013 | セリエA | 7位 | 38 | 18 | 7 | 13 | 51 | 42 | +9 | 61 | 優勝 |
2013 - 2014 | セリエA | 9位 | 38 | 15 | 11 | 12 | 54 | 54 | 0 | 56 | 準々決勝敗退 |
2014 - 2015 | セリエA | 3位 | 38 | 21 | 6 | 11 | 71 | 38 | +33 | 69 | 準優勝 |
2015 - 2016 | セリエA | 8位 | 38 | 15 | 9 | 14 | 52 | 52 | 0 | 54 | 準々決勝敗退 |
2016 - 2017 | セリエA | 5位 | 38 | 21 | 7 | 10 | 74 | 51 | +23 | 70 | 準優勝 |
2017 - 2018 | セリエA | 5位 | 38 | 21 | 9 | 8 | 89 | 49 | +40 | 72 | 準決勝敗退 |
2018 - 2019 | セリエA | 位 | 38 |
※2005-06シーズンはシーズン終了後勝ち点-30のペナルティ(6位→16位)、2006-07シーズンは勝ち点-3でシーズン開始
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1970-71 | インターシティーズ・フェアーズカップ | 1回戦 | アーセナル | 2–2 | 0–2 | 2–4 | |
1973-74 | UEFAカップ | 1回戦 | シオン | 3–0 | 1–3 | 4–3 | |
2回戦 | イプスウィッチ・タウン | 4–2 | 0–4 | 4–6 | |||
1975-76 | UEFAカップ | 1回戦 | チョルノモレツ・オデッサ | 3–0 (延長戦) |
0–1 | 3–1 | |
2回戦 | バルセロナ | 0–3 | 0–4 | 0-7 | |||
1977-78 | UEFAカップ | 1回戦 | ボアヴィスタ | 5–0 | 0–1 | 5–1 | |
2回戦 | ランス | 2–0 | 0–6 (延長戦) |
2–6 | |||
1993-94 | UEFAカップ | 1回戦 | ロコモティフ・プロヴディフ | 2–0 | 2–0 | 4–0 | |
2回戦 | ボアヴィスタ | 1–0 | 0–2 | 1–2 | |||
1994-95 | UEFAカップ | 1回戦 | ディナモ・ミンスク | 4–1 | 0–0 | 4–1 | |
2回戦 | トレッレボリFF | 1–0 | 0–0 | 1–0 | |||
3回戦 | トラブゾンスポル | 2–1 | 2–1 | 4–2 | |||
準々決勝 | ボルシア・ドルトムント | 1–0 | 0–2 | 1–2 | |||
1995-96 | UEFAカップ | 1回戦 | オモニア・ニコシア | 5–0 | 2–1 | 7–1 | |
2回戦 | オリンピック・リヨン | 0–2 | 1–2 | 1–4 | |||
1996-97 | UEFAカップ | 1回戦 | ランス | 1–1 | 1–0 | 2–1 | |
2回戦 | テネリフェ | 1–0 | 3–5 | 4–5 | |||
1997-98 | UEFAカップ | 1回戦 | ヴィトーリア | 2–1 | 4–0 | 6–1 | |
2回戦 | ロートル・ヴォルゴグラード | 3–0 | 0–0 | 3–0 | |||
3回戦 | ラピード・ウィーン | 1–0 | 2–0 | 3–0 | |||
準々決勝 | オセール | 1–0 | 2–2 | 3–2 | |||
準決勝 | アトレティコ・マドリード | 0–0 | 1–0 | 1–0 | |||
決勝 | インテル | N/A | 0–3 | ||||
1998-99 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | ローザンヌ・スポルト | 1–1 | 2–2 | 3–3 (a) | |
2回戦 | パルチザン | 0–0 | 3–2 | 3–2 | |||
準々決勝 | パニオニオス | 3–0 | 4–0 | 7–0 | |||
準決勝 | ロコモティフ・モスクワ | 0–0 | 1–1 | 1–1 (a) | |||
決勝 | マヨルカ | N/A | 2–1 | ||||
1999-00 | UEFAチャンピオンズリーグ | 1次GS グループA |
バイエル・レバークーゼン | 1–1 | 1–1 | 1位 | |
ディナモ・キエフ | 2–1 | 1–0 | |||||
マリボル | 4–0 | 4–0 | |||||
2次GS グループD |
オリンピック・マルセイユ | 5–1 | 2–0 | 1位 | |||
チェルシー | 0–0 | 2–1 | |||||
フェイエノールト | 1–2 | 0–0 | |||||
準々決勝 | バレンシア | 1–0 | 2–5 | 3–5 | |||
2000-01 | UEFAチャンピオンズリーグ | 1次GS グループB |
シャフタール・ドネツク | 5–1 | 3–0 | 2位 | |
スパルタ・プラハ | 3–0 | 1–0 | |||||
アーセナル | 1–1 | 0–2 | |||||
2次GS グループD |
アンデルレヒト | 2–1 | 0–1 | 4位 | |||
リーズ・ユナイテッド | 0–1 | 3–3 | |||||
レアル・マドリード | 2–2 | 2–3 | |||||
2001-02 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | コペンハーゲン | 4–1 | 1–2 | 5–3 | |
グループD | ガラタサライ | 1–0 | 0–1 | 4位 | |||
ナント | 1–3 | 0–1 | |||||
PSV | 2–1 | 0–1 | |||||
2002-03 | UEFAカップ | 1回戦 | クサンティ | 4–0 | 0–0 | 4–0 | |
2回戦 | ツルヴェナ・ズヴェズダ | 1–0 | 1–1 | 2–1 | |||
3回戦 | シュトゥルム・グラーツ | 0–1 | 3–1 | 3–2 | |||
4回戦 | ヴィスワ・クラクフ | 3–3 | 2–1 | 5–4 | |||
準々決勝 | ベシクタシュ | 1–0 | 2–1 | 3–1 | |||
準決勝 | ポルト | 0–0 | 1–4 | 1–4 | |||
2003-04 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | ベンフィカ | 3–1 | 1–0 | 4–1 | |
グループG | ベシクタシュ | 1–1 | 2–0 | 4位 | |||
スパルタ・プラハ | 2–2 | 0–1 | |||||
チェルシー | 0–4 | 1–2 | |||||
2004-05 | UEFAカップ | 1回戦 | メタルルフ・ドネツィク | 3–0 | 3–0 | 6–0 | |
グループE | ビジャレアル | 1-1 | N/A | 4位 | |||
ミドルズブラ | N/A | 0-2 | |||||
パルチザン | 2-2 | N/A | |||||
Egaleo F.C. | N/A | 1-2 | |||||
2005 | UEFAインタートトカップ | 3回戦 | タンペレ・ユナイテッド | 3–0 | 1–1 | 4–1 | |
準決勝 | オリンピック・マルセイユ | 1–1 | 0–3 | 1–4 | |||
2007-08 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | ディナモ・ブカレスト | 1–1 | 3–1 | 4–2 | |
グループC | オリンピアコス | 1–2 | 1–1 | 4位 | |||
レアル・マドリード | 2–2 | 1–3 | |||||
ヴェルダー・ブレーメン | 2–1 | 1–2 | |||||
2009-10 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | IFエルフスボリ | 3–0 | 0–1 | 3–1 | |
グループG | レッドブル・ザルツブルク | 1–2 | 1–2 | 3位 | |||
レフスキ・ソフィア | 0–1 | 4–0 | |||||
ビジャレアル | 2–1 | 1–4 | |||||
2011-12 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | ラボトニツキ | 6–0 | 3–1 | 9–1 | |
グループD | ヴァスルイ | 2–2 | 0–0 | 2位 | |||
スポルティングCP | 2–0 | 1–2 | |||||
チューリッヒ | 1–0 | 1–1 | |||||
ラウンド32 | アトレティコ・マドリード | 1–3 | 0–1 | 1–4 | |||
2012-13 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | ムラ05 | 3–1 | 2–0 | 5–1 | |
グループJ | トッテナム・ホットスパー | 0–0 | 0–0 | 1位 | |||
マリボル | 1–0 | 4–1 | |||||
パナシナイコス | 3–0 | 1–1 | |||||
ラウンド32 | ボルシアMG | 2–0 | 3–3 | 5–3 | |||
ラウンド16 | シュトゥットガルト | 3–1 | 2–0 | 5–1 | |||
準々決勝 | フェネルバフチェ | 1–1 | 0–2 | 1–3 | |||
2013-14 | UEFAヨーロッパリーグ | グループJ | レギア・ワルシャワ | 1–0 | 2–0 | 2位 | |
トラブゾンスポル | 0–0 | 3–3 | |||||
アポロン・リマソール | 2–1 | 0–0 | |||||
ラウンド32 | ルドゴレツ・ラズグラド | 0–1 | 3–3 | 3–4 | |||
2015-16 | UEFAチャンピオンズリーグ | プレーオフ | バイエル・レバークーゼン | 1–0 | 0–3 | 1–3 | |
UEFAヨーロッパリーグ | グループG | ドニプロ | 3–1 | 1–1 | 1位 | ||
サンテティエンヌ | 3–2 | 1–1 | |||||
ローゼンボリBK | 3–1 | 2–0 | |||||
ラウンド32 | ガラタサライ | 3–1 | 1–1 | 4–2 | |||
ラウンド16 | スパルタ・プラハ | 0–3 | 1–1 | 1–4 | |||
2017-18 | UEFAヨーロッパリーグ | グループK | ニース | 1-0 | 3-1 | 1位 | |
ズルテ・ワレヘム | 2-0 | 2-3 | |||||
フィテッセ | 1-1 | 3-2 | |||||
ラウンド32 | ステアウア・ブカレスト | 5-1 | 0-1 | 5-2 | |||
ラウンド16 | ディナモ・キエフ | 2-2 | 2-0 | 4-2 | |||
準々決勝 | レッドブル・ザルツブルク | 4–2 | 1–4 | 5–6 | |||
2018-19 | UEFAヨーロッパリーグ | グループH | アポロン・リマソール | 2–1 | 0-2 | 2位 | |
マルセイユ | 2-1 | 3-1 | |||||
アイントラハト・フランクフルト | 1–2 | 1-4 | |||||
ラウンド32 | セビージャ |
現所属メンバー
- セリエA 2018-19 基本フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
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歴代監督
- ディノ・ゾフ 1990.07 - 1994.06
- ズデネク・ゼーマン 1994.07 - 1997.01
- ディノ・ゾフ 1997.02 - 1997.06
- スヴェン・ゴラン・エリクソン 1997.07 - 2001.01
- ディノ・ゾフ 2001.01 - 2001.09
- アルベルト・ザッケローニ 2001.09 - 2002.05
- ロベルト・マンチーニ 2002.05 - 2004.06
- ドメニコ・カーゾ 2004.07 - 2004.12
- ジュゼッペ・パパドプーロ 2004.12 - 2005.06
- デリオ・ロッシ 2005.07 - 2009.06
- ダヴィデ・バッラルディーニ 2009.07 - 2010.02
- エドアルド・レヤ 2010.02 - 2012.06
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ 2012.06 - 2014.01
- エドアルド・レヤ 2014.01 - 2014.06
- ステファノ・ピオリ 2014.06 - 2016.04
- シモーネ・インザーギ 2016.04 - 2016.07
- マルセロ・ビエルサ 2016.07
- シモーネ・インザーギ 2016.07 -
歴代所属選手
GK
DF
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MF
FW
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(※)は冬季移籍期間中の移籍であることを示す
外部リンク
- ^ “141億円でも足りず?ユナイテッド、ミリンコヴィッチ=サヴィッチに接近”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
- ^ “新指揮官はインザーギ弟!ダービー敗北のラツィオが監督交代を決断”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
- ^ “ビエルサ・ラツィオついに誕生!予想される補強は誰?”. Qoly. 2019年1月5日閲覧。
- ^ “ビエルサ、「辞任」はラツィオの責任と主張 「約束した7選手の誰も獲得していない」 | Goal.com”. www.goal.com. 2019年1月5日閲覧。